M315とM316について

最近目標に、世界で聴いてもらえるように音楽を届けたい、と書いています。
この目標自体はマイナーチェンジしたいとは思っているのですが笑、話がそれてしまうのでスルーして、

最近YouTubeに投稿したM315M316は、アジアの側面を意識して作ってみたわけですが、作ったあとに色々と考えてしまいました。
アジアの側面とは?
日本人だから三味線使っとけば良いとか、アジアの楽器使っとけば良いとか、そんな安直な理由でこの二曲は作ってしまいました。

とは言え、M315は安易なわりには結構成功したかなと思います。
尺八や三味線の音がまさに日本の秋のイメージとピッタリな感じがします。

ただ、M316の方は個人的にはもう少しな曲となってしまいました。
それはなぜかと考えてみました。
この曲はアジアを外から見た視点をイメージしてみたのですが、
要は曲の精神性をアジアから外に持っていってしまったんですね。
外から見たアジアの視点というのは、外にいる人が作るべきだった。
故に、メッセージ感が薄いというか、
視点が定まらないボヤけた曲、という印象になってしまいました。

日本人だから三味線を使う、というシンプルな発想は、プレイヤーにのみ威力を発揮するものだと思います。
自分みたいな作る側がやってはいけなかった。

例えば、明るい曲を日本の側面を意識しながら作りたいと思った時、仮にそれにアフリカの楽器が必要と感じたらやっぱり使うべきだと思うんです。日本、アジアの楽器に限定するべきでは無いように思います。
(とはいえやっぱりアフリカの楽器はあっちの国の印象感がすごいので、それはそれで使い方は難しいのかもしれませんが。。笑)

そもそも、アフリカの楽器を演奏してもアフリカ人と日本人では、もはや別物になりそうです。
ピアノだって、同じ楽器なのにクラシックとジャズでまるで別の音となります。

そうやって国や主観を排除して楽器としての魅力を捉えて、日本感として必要な音を選んで出来た音楽に、初めて日本にいる空気感が出てくるのでは無いでしょうか、多分。

ちなみに和風という曲はまた別物で、もはや和風というジャンルですからそうやってシンプルに三味線や琴を使って良い気がします。
しかし、日本の空気感や、日本人感?を曲に織り込みたいなと思った時は色んな楽器を使うべきだし、逆にピアノひとつでもそれを表現出来るようになるべきだと思うし、そういった音の選び方が大切になってくるような気がします。

長くなっちゃった。読むの大変なのに、ここまで読んで頂きありがとうございました!

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